2009年4月26日日曜日

人のふり見て我がふり直せ

人のふり見て我がふり直せ
他人の性行の善悪を見て、自分の性行を改めよ(広辞苑)

気をつけなければならないと常々思っているのに、たまにカッとなると忘れてしまう。
特に人の批判をする時には、まず(少なくとも今からその人に言う事については)自分はどうなのか、を見つめ直してから言わないと、言われた方はたまったものではない。

どうして人は「人に厳しく自分に甘い」のだろうか。
それは、全部は一致しないが、「人のふり見て我がふり直せ」とかなり重なると思う。
人の批判を第三者として聞く時に「そういうあなたはどうなの?」と問いかけたる場合が多い。もちろん、自分も自分を棚にあげて批判することが多々ある(最近は抑える様にしているけど)。言っている傍から「自分もひとのこと言えないなー。」と思いながら話をしていて、結局尻つぼみになってしまうのだ。自分が言われる場合には(実はあまりないけど)、「あんたには言われたくない」と思ってしまう相手に批判・注意されたならば、あからさまな“納得していません!”の顔になり、相手によっては食ってかかるか押し黙るかになってしまうだろう。

現在、職場において批判したいこともたまにあるが、(みんな上過ぎて)批判できる相手がいない。もちろん良いと思うことは提案しているし、意見は言っているつもりだけど、ヒトの批判はしない様にしている。ちょっと前まで結構文句を言っていた。若くないけど若気の至りであったと反省している。今は、他の人の批判を黙って聞き(ひとはそれを愚痴という)、「この人はこういうところを見ているのか」とか「こういうことが批判される対象なのか」ということを学んでいるところである。

人間って大変だなー ((+_+))

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