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2009年6月5日金曜日

育児のヒント4

子供をやる気にさせる4つのスイッチ
・子供は競争したがる
 ⇒競争させる。順位をつけたり、できる子を見本にさせると、できない子は、悔しくて自ら練習したり、観察してどうしたらいいのかなど勝手にやり始める。
・子供は真似したがる
 ⇒最初はドミソなど簡単なことから真似させて(ピアニカなどで)、音を覚えさせ、真似させる。少しずつ難易度を上げていく。絶対音感ができれば、あとはどんどんできる。
・子供はちょっと難しいことをやりたがる
 ⇒難しい事は嫌がるし、簡単なことは飽きてしまう
  ひらがなを学ぶ時も、“あ”から始めると難しすぎる。だから縦棒、横棒から練習し、カタカナの“エ”とか“ノ”などから練習させ、だんだん難易度を上げていく[ヨコミネ式95音]
・子供は認めたがられる
 ⇒読んだ本を記録する。いっぱい読めば達成感も与えられるし、評価されているって感じるのかな。

子供の可能性は未知数らしい。
うらやましいね~。
こっちは、最近の筋力・体力の低下と関節の違和感、体が硬いなどを感じ、衰えてるな~って感じているのに。

育児のヒント3

歩き始めてからの育児

・時計はアナログ時計:針の位置で理解させる
・タオルをたたむ時は三つ折り  
 (目測できるように訓練。3等分がわからないとできない)
・より楽しいことを約束して、時間を決めて前の行動を終わらせる。
 (おやつを食べようね。だから、時計の針が3の所に来るまでにお片付けをしちゃおうね、など)

育児のヒント2

またまたテレビで育児についての番組を見た。
前回の追加だそうだ。

・ストップと言ったら行動を止める訓練をする
 (NoGo行動というらしい。)
 忘れちゃったので、他のサイトとかに書いてあることを引用すると、NO-GOとは「積極的になにかをしないこと」で、「理性的に判断して行動を抑制する」という場合には、脳の第八野という部分が働くのだそうですが、この能力は鍛えないと育たず衰える、のだそうです。我慢したら「ほめられる」という訓練ということかな。
・ガラガラは遠くからゆっくり動かす。
  赤ちゃんは遠視なので、近くで早く動かされても全然わからない。
  視点が合ったら目で追わせる様にする。
・1-2か月でストロー飲みをさせる
  “吸う”という本能的なものが残っているうちにやらせる
・話しかける時には視線を合わせ、言葉と表情を伝える。
  (うれしいなら、うれしいといってうれしそうな顔をして話す)
・できるだけ多くの匂いをかがせる
  いやなにおいも変なにおいも。
・とにかく紙を破らせる。
  (できるだけ細く破らせる。紙に線維の方向があるとかを体験できる)

  手先が器用になるんだっけな。
・テレビはどんどん見せる
  (好きな、興味をもった映像を見せて、同じ様に行動させる)
  ただし、ほったらかしはダメ。1時間みたら15分は休ませる。


こんな感じだったかな。
なんかこういう項目を細かくやっていくのも大事なんだろうけど、やはりじっくり子供を観察し、同じ目線で見て、いろいろ経験させるってことなのかな。

実際は全然思ったようにいかないんだろうけどね。

2009年5月13日水曜日

いい言葉、なんだけど、難しいよね。

一歩ずつでも成長しなきゃならん。
やっぱり私、人間1回目だから、人間出来てないよな (+o+)
仏の様なやわらかな笑顔で、いろんなことにも動じずに、心安らかに生きれる様に努力をしないといけないんだろうけど、どうしたらそうなれるのかな。

“羨む”で検索してみた。

人を羨む時にはその人の苦労も欲しがって下さい
 (オーラの泉、江原啓之)

見えるものだけを羨み、見えないものがあることにまったく気づかない。
そんな目の見え方では、苦労でも、人間関係でも、見えないものに、
いつの日か、打ちのめされてしまうでしょう。
羨みたくなったら、その背後にあるものも想像してみる。
でも、想像力に乏しい人は、「苦労があるとしたって、 私の苦労に比べたら、 たいしたことないはずよ。」と、きっと結論づけるでしょうね。
「おそらく、私よりも、 かなりの苦労をして がんばってきた人なんだろうな。」なんて想像ができる人だったら、近いうちに目標達成できるかもしれない。
まだ手に入っていないものが自分の手に入って、みんなから羨ましがられる姿は想像できても、それが手に入るまでに、どんな人がどれだけの苦労をしたか想像できない人は、いつも、言い訳する役に回ることになるでしょう。
私の人生、羨むばかりで、そんなことで本当にいいのか。
いつか本気で、そんなことを自問できるようにならないと、人生は変わらないはずだ。


わかっちゃいるけどね~、現実にはね~。
でも、一部納得いかない。
結局自分と他の人を比較してしまっているではないか。
羨むのも考えものかもしれないけど、ヒトと比較しないと自分を納得させられないのだろうか。
羨むということ自体、ヒトと自分を比べてしまっているということ。

私なりの解釈だけど、ヒトと比較しないで自分を導ける様にならないとダメなんだと思う。
今の自分は、比較しまくり((+_+))
“人生いろいろ 人それぞれ”が自分の中に沁み込めばいいんだけど、全然ダメ (*_*;

“いい人間”になりたいな。
なれるのかな。

2009年5月11日月曜日

育児のヒント(子供いないけど)

テレビで、“赤ちゃんの脳は歩き始める前にほぼ決まる!?”という番組を見た。
著作権とかあるかは知らないけど、書いちゃえ!

・オムツを換える時に、必ず声をかける
 (赤ちゃんはしゃべれないけど聞いてわかっている)
・“いない いない ばあ”は1日5回以上する
 (期待しているものを待つのは脳の発達にいいらしい。赤ちゃんの印象に残るのが1回目なのか、4回目とかなのかはわからないから、やるなら5回以上やろう。)
・子供服はカラフルなものを着せる
 (色もわかっているので、色彩感覚を鍛える)
・なるべくおんぶする
 (平衡感覚が鍛えられるらしい。運動能力が決まるらしい。)
・幼児語を使わない
 (数年後、また大人語に言い換えなきゃならないので、無駄。それより1語でも多く普通の単語を覚えた方が得。)
・箸や鉛筆をいきなり使わせるのではなく、正しい使い方を見せる
 (対面で見せると、ミラーになり、逆で覚えてしまうので、背後からやってみせる。子供がそのまま真似しやすいように。)
・常に「どっちが好き?」を聞く
 (判断力を鍛える。)

くくっ。もう歩き始めちゃったという場合でもできることはいっぱいあるらしい。

歩き始めてからでもできること
・お風呂で数を数える時に、1⇒10だと0の感覚がわからないから、10⇒0で数える。
・約束を守らせる代わりに、約束は守る
 (例えば客が来て、「30分一人で遊んでいて」と言ったら、客がいても30分後には子どもと遊ぶとか)

早く試したいものだ。
実験台いないかなー。 

2009年5月1日金曜日

基礎体温

何となく測定している基礎体温。
今日無料でダウンロードできるグラフ作成ソフトを入手。
今年の測った日の体温を入力してみた!

おおっ!(゜o゜)
思ったよりちゃんと測ってない・・・・・・。
抜け値が多くてよくわからん。
仕方がない、前向きにこれから真面目に測り書いていこう。

あとは
・運動不足の解消
・ジャンクフードの減量
かな。

2009年4月26日日曜日

ワーカーホリック

ワーカーホリックは別にいいけど、他人に強要されるものじゃないと思う。
もちろん定時というものがあるので、その時間は職場にいなければならないと思うけど、時間外で「朝何時に来ていなきゃダメだ」とか「遅くまでやれ」と言われるのはとても嫌だ!
またそういう事を他の人が言われているのを聞くのも嫌だ!

現在自分は“上の人にチェックしてもらわなければならない立場”であるので、その人の時間を使わせてもらう訳だから、“なるべく早く職場に行き(例え5分でも前に居ればずいぶん印象が違うはず)、(先に帰るにしても)居られるまで居る”様にしている。もちろん状況が変わったり、用事がある時には、抜け出したり、早く帰ったりする。

人間、やる気のある時もあれば、ない時もある。体の調子だってあるし、人によって体力も気力も違う。ご家庭の事情だってあるかもしれない。もちろんあまりにもひどい仕事っぷりの人(給料泥棒的な)もいるだろう。でも、「○○さんはこの時間でこのくらい出来るのにあなたは遅い」とかは言ってはならない事だと思う。私ならふてくされて、やる気が低下しさらに仕事の効率が下がることだろう。さらにいえば、職場の雰囲気も悪くなり、さらにコミュニケーションがとれなくなり、どんどん効率が悪化する。

自分が人をマネージメントすることになるとしたら(望まないけど)、
・「このひとがどのくらいできるのか」を一定期間で見定める。
・どうしたらこの状況が改善するのか、職場全員を集めて意見を出し合い話し合う。(例えばこの部分は他の人がサポートするとか、この誰がやったら効率的か考え配置転換など)
・人が欠けても他の人がサポートできるように業務を分担しておく。

でも、こう思っていても実際は難しんだろうな。
だって、出来ている組織なんて少ないのだから。

人のふり見て我がふり直せ

人のふり見て我がふり直せ
他人の性行の善悪を見て、自分の性行を改めよ(広辞苑)

気をつけなければならないと常々思っているのに、たまにカッとなると忘れてしまう。
特に人の批判をする時には、まず(少なくとも今からその人に言う事については)自分はどうなのか、を見つめ直してから言わないと、言われた方はたまったものではない。

どうして人は「人に厳しく自分に甘い」のだろうか。
それは、全部は一致しないが、「人のふり見て我がふり直せ」とかなり重なると思う。
人の批判を第三者として聞く時に「そういうあなたはどうなの?」と問いかけたる場合が多い。もちろん、自分も自分を棚にあげて批判することが多々ある(最近は抑える様にしているけど)。言っている傍から「自分もひとのこと言えないなー。」と思いながら話をしていて、結局尻つぼみになってしまうのだ。自分が言われる場合には(実はあまりないけど)、「あんたには言われたくない」と思ってしまう相手に批判・注意されたならば、あからさまな“納得していません!”の顔になり、相手によっては食ってかかるか押し黙るかになってしまうだろう。

現在、職場において批判したいこともたまにあるが、(みんな上過ぎて)批判できる相手がいない。もちろん良いと思うことは提案しているし、意見は言っているつもりだけど、ヒトの批判はしない様にしている。ちょっと前まで結構文句を言っていた。若くないけど若気の至りであったと反省している。今は、他の人の批判を黙って聞き(ひとはそれを愚痴という)、「この人はこういうところを見ているのか」とか「こういうことが批判される対象なのか」ということを学んでいるところである。

人間って大変だなー ((+_+))